本来の目的とは...

皆さんこんにちは♪

今日は「本来の目的とは」と題して、少しお話しします。ぼくは今30代前半の大人ですが、少年時代と違い、年を重ねるにつれていままでの社会の習慣や慣例が本当に正しいのかという想いが湧いてきています。その一つが敬語というものの本来の意味です。皆さんの学生生活の中(今学生の方も)で一年先輩でも敬語を使う習慣がありますよね?大学でいえば4年違ったり社会人を経験されてから入学する方もいらっしゃると思います。ぼくの考えは果たして学生生活での敬語は必要なのか?という疑問です。自分自身敬語使う時に相手に敬意をはらうということを常に意識して使っているわけではありません。皆さんもたぶんそうだと思います。ただ年上だからとか、ビジネスだからとか表面的な理由が主だと思います。いわゆる慣習であり慣例どおり。ですが本来の意味を意識すると僕のような考えも生まれてきます。例えば、ぼくは30代ですが、相手が80代や90代のお婆さまとお話しする時は敬語を使います。それはごく自然なことだと思います。相手を敬うと言う意味を持っている敬語なので、日本の敗戦(戦争)を経験してきた方々は自分たちの生きてきた時代とは違う苦労、悲しみ、喜びがあり、その時代があったから今の自分がある、そういった相手への敬意が敬語本来の持っている力であるとぼくは思います。だから1年違うだけで敬語使う教育や習慣は必要なく、全て自由意志に基づく使い方でいいと考えています。それに生きている時代背景が変わらないからです。中学の3年間、高校の3年間、大学の4年間でいえば見てきたもの、例えばテレビ、アニメ、映画、あと情報もすべてそこまで変わらないはずです。経験はそれぞれに違いがありますが、では逆に話し言葉だから相手に敬意がない、もしくは持っていないと判断してしまうのはおかしなことではないでしょうか?あくまで学校生活でそれが必要なのか、本来の意味と外れて敬語というもの考えてないかという問題提起です。なんかすごい長くなってしまった😅